| はじめに・・・・ |
| 平成11年に尾道・今治ルート(しまなみ海道)も開通し、四国は三架橋時代を迎えました。 観光地は県外客でにぎわい、なかでも四国八十八ケ所霊場は、NHKのテレビ放映などの影響もあり今までにも増して年間10万人を越す勢いです。 交通の発達により、自家用車・タクシー・順拝バス・徒歩遍路等さまざま。 なかでも近畿・中国方面から手軽に参加できる日帰り遍路が目立つようになりました。 四国八十八ケ所は、若き日の弘法大師(空海)が修行された霊跡の地を巡るのですが、其の考証として、弘法大師24歳の時著わした『三教指帰(さんごうしいき)』に・・ 「阿国大龍獄(21番大龍寺)にのぼりよぢ 土州室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す。或るときは金巌(出石寺)に登って雪に遭うてかんらんたり。或るときは石峯(石鎚山)に跨がって粮(かて)を絶ってかんかたり」とあります。[原漢文] 弘仁六年(815)弘法大師、42歳のとき遍歴されたのが、四国八十八ケ所の始まりと言われています。では、なぜ八十八ケ所なのか諸説は色々あります。まず男女と子供の厄年を合計した数字、また米の字に通じ五穀豊穣を祈る数であるなど。人間には生まれながらにして八十八の結便煩悩があり、八十八ケ所を順拝し祈る事により、この煩悩がすべて滅却されるというのが最も妥当な説とされています。 弘法大師は真言宗の開祖ですが、札所には寺の中心である本堂があり、本堂とは別の位置に必ず弘法大師を祀る大師堂があります。真言信仰ではなく弘法大師信仰です。つまり宗派を問わず祈れば必ずお大師さまが答えてくれるのが四国遍路なのです。 四国遍路(おへんろさん)の姿として、白装束に手甲脚絆、菅笠、金剛杖、他には数珠・納札・ずだぶくろ頭陀袋を身に付け、南無大師遍照金剛を唱え順拝する。 白装束は死の装束を意味します。菅笠は天蓋を意味し四句の偈(げ)が書いてあります。 『迷故三界城』(まようがゆえさんかいしろ) 『悟故十方空』(さとるがゆえじっぽうくう) 『本来無東西』(ほんらいとうざいなし) 『何処有南北』(いずこになんぼくあるや) この4句は「小叢林清規(しょうそうりんしんぎ)」というお経の偈であり、これはお葬式のときこの句を使います。道中においては魔除けにもなります。 次に金剛杖は、お大師さまそのものであり同行二人として大切に扱います。杖の頭部四方には五輪(地大・水大・火大・風大・空大)を刻みこの部分は持ちません。宿に着けば一番にお杖(お大師様の足)の先を洗い1日の感謝をします。 白衣に手甲脚絆、手にはお墓(昔の遍路は行き倒れた時は杖を立て墓標となった)を持ち順拝しますが、異様とも想えるこの装束には意味があります。 まず四国に入り白装束に着替えた時が、発心(目覚め)し現世より離れ先祖の供養をし、自身の幸福・安楽を祈願し満願成就(涅槃、悟り)した時、やっと現世(俗世間)に帰り心身ともに蘇生(生まれ変わる)するというのが四国遍路なのです。 四国(死国)とは、程よい距離、程よい時間で俗人の修行の場として往古より栄えてきたのです。 |
| 四国遍路霊場記 |
| 江戸時代の中期、四国遍路は庶民の参加が目立つようになり、遍路の為の案内記まで刊行されるほどの盛行となりました。 『四国遍礼指南』貞享4(1687)真念著、『四国遍礼霊場記』元禄二年(1689)寂本、『四国遍礼功徳記』元禄三年(1690)真念、という三部書があります。 この三部書のなかでこのコラムでは『四国遍礼霊場記』元禄二年(1689)[以下霊場記]を記してみることにします。霊場記は七巻で四国八十八ケ所を紹介した案内記です。刊行されるにいたっては、四国を二十余度順拝したという宥弁真念の豊な知識、資料をもとに、また真念に同行して寺所の略図を描いたという高野山・奥の院、護摩堂の洪卓らの協力により寂本が編集した本格的なガイドブックです。江戸時代の信仰の姿、霊場の様子などを知る上で貴重な文献です。 これから四国霊場を巡る方、また現在順拝を始めている方々の参考にしていただければ幸いです。 それでは次回より、「霊場記」による四国八十八ヶ所順礼の旅に出ましょう。 |
| 【ご注意】 文中に本来ならば旧漢字表記であるべきものがありますが、Webという制限がありますのであえてひらがな、現代漢字表記にしております。ご了承ください。 |